2008年09月

2008年09月の情報ページです。
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鳥崎八景屏風崖
撮影日 2007/11/01 08:00
 鳥地獄の看板から表記の通り約500mでこの屏風崖に到着します。鳥崎川を挟んで高さ約100mの崖が2kmにわたり続く様を 屏風に例えて命名したものだそうです。
 当日は今にも泣き出しそうな天気で終わりかかった紅葉の色も優れませんでした、もっと条件の良い日に訪ねると印象も変わるかと思いますが。
鳥崎八景屏風崖
撮影日 2007/11/01 08:00
 手前の樹木が邪魔になり崖の様子はよく見えません。層雲峡や天人峡の柱状節理の崖とは違い地層の断面が剥き出しになった崖で見ようによっては 面白いと思いますが・・・
鳥崎八景屏風崖
撮影日 2007/11/01 08:03
 鳥崎川の川岸まで行って崖を見上げるアングルで撮影すればもうすこしマシな写真が撮れるとは思いますが、看板の場所から 川岸までの道はなくこんなところの藪こぎしなければなりません。当然ながら撤収です(笑)

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鳥崎八景鳥地獄
撮影日 2007/11/01 10:05
 鳥崎八景は鳥崎川が流れる鳥崎渓谷内の名所を八つ選び名づけたものです。ここを訪れた目的は上大滝の撮影(上大滝も八景のひとつ)だった訳で鳥崎八景の事前知識はほぼゼロでした。
 国道5号線を道道606号線に分岐し、川沿いを走るとやがてこの看板が現れます。 「鳥地獄」なんともおどろおどろしい名前がついていますがあるのは看板だけで何のことやらさっぱりわかりません。帰宅後 ネットで調べるとこの付近の地中から炭酸ガスが発生して鳥が窒息死していたというのが由来らいしいです。
鳥崎八景鳥地獄
撮影日 2007/11/01 10:06
 周囲の風景は本当にごく平凡でとりたてて被写体になるようなものは何もありません。 運よく(?)鳥が死んでいてもちょっと写す気にはならんでしょうフツー
鳥崎八景鳥地獄
撮影日 2007/11/01 10:09
 鳥地獄の傍に小さな神社が建っていました。何か関係があるんでしょうか。
 それにしても鳥崎八景、最初からこれでは先が思いやられるな~(でも続けます)

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遠音別川
撮影日 2006/09/17 10:52
 秋の訪れとともに知床の河川にはサケやカラフトマスが帰ってきます。この遠音別川(オンネベツガワ)にも毎年多くのサケ・マスが遡上し、 その様子は国道334号線にかかる遠音別橋から観察することができます。
遠音別川
撮影日 2006/09/17 11:45
 河口から200mほどのところには何故か堰が造られていてサケ・マスの遡上を阻んでいます。さかんにジャンプする姿が見られますが殆どはこの堰を越えられず流れに 押し戻されていました。小一時間ほど撮影しながら見ていましたが堰を越えたものはいませんでした。写っているのはカラフトマス(セッパリマス)です。
遠音別川
撮影日 2006/09/17 10:39
 遠音別橋の脇には駐車場が整備され川沿いに観察スペースが造られています。遠音別川河口は水深が浅く遡上するサケの姿を本当に間近に見ることができます。
遠音別川
撮影日 2005/10/09 10:25
 橋から見た遠音別川河口の様子。

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ノッカマップ岬
撮影日 2005/10/10 10:32
 ノッカマップ岬は根室半島の根室湾側に面する小さな岬です。ご覧のとおりノッカマップ灯台以外は何もないおよそ観光とは無縁の岬ですが 北海道の歴史上極めて重要な場所です。
 1789年当時の松前藩から蝦夷地の交易を一任された場所請負人の不当な交易や強制労働に対して憤りを爆発させた国後島のアイヌとこれに呼応した メナシ(現羅臼・標津付近)のアイヌが蜂起し和人商人を襲撃。松前藩はこれを鎮圧し(クナシリ・メナシの戦い)蜂起に参加した者をこのノッカマップに集め 取り調べを行った後、首謀者とされた37名をここで処刑しました。これ以降和人の蝦夷地支配は決定的なものとなっていきます。
ノッカマップ岬
撮影日 2007/06/17 04:41
 ノッカマップ灯台は白黒に塗り分けられた極めて地味な灯台です。道道35号線からここまで道はついていますがかなり路面状態は悪いので雨天・雨後の進入は 止めたほうが身のためです。
ノッカマップ岬
撮影日 2007/06/17 04:42
 灯台付近から根室湾を見渡すと茫漠とした光景が広がります。
ノッカマップ岬
撮影日 2007/06/17 04:41
 岬には2基の風力発電用の巨大な風車が立っています。手前に写っている紫色の花はハクサンチドリ。

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08ア・ラ・ポテトの丘
撮影日 2006/07/09 08:24
 先日なに気にテレビを見ているとカルビーのア・ラ・ポテトのCMの背景に見覚えというか撮り覚えのある風景を発見。
 場所はもちろん美瑛町でマイルドセブンの丘のすぐ近くです。マイルドセブンの丘の前を横切る農道を登りきって少し下ったところにこの丘はあります。
08ア・ラ・ポテトの丘
撮影日 2006/07/09 08:25
 ここは結構お気に入りの撮影場所でポイントはこのちょっとユーモラスな形をした二本の落葉松です。さしずめ兄弟の木といったところです。
08ア・ラ・ポテトの丘
撮影日 2008/09/15 16:07
 丘からマイルドセブンの丘方面を眺めるとこんな感じですが、この季節は畑の収穫が終わりちょっと色気がないですね。

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新栄の丘
撮影日 2008/09/15 14:52
 天気が良かったのでふらっと新栄の丘まで行って来ました。
新栄の丘
撮影日 2008/09/15 14:52
 なぜか花畑に転がっていたお化けカボチャ。このカボチャは家畜用で食べても美味しくはないです、ハロウィーンには定番ですが。
新栄の丘
撮影日 2008/09/15 14:58
 駐車場をはさんで向かいにある畑に立てられた看板です。要は進入禁止の看板ですがちょっとお洒落ですね。
新栄の丘
撮影日 2008/08/28 15:23
 新栄の丘は美瑛観光の定番スポットです。ここには本当にひっきりなしに大型バスがやってきます。場所は下の写真で確認してください。
 この丘はこのあたり一帯の一番高いところ(標高はしれてますが)にあり、360度の展望が楽しめます。
新栄の丘
撮影日 2004/06/16 15:38
 新栄の丘にある案内地図です。手作り感がほほ笑ましいというか、なんというか。
 美瑛の丘の道ははっきりいって分かりづらいです。丘の麓を縫うように道が走り、曲がりくねっているいるため迷子になりやすく、近くに見える場所に行こうとしてもなかなかたどり着けないこともよくあります。美瑛の丘めぐりをするには、まず美瑛の道の駅で無料のロードマップを手に入れましょう。
 時間に余裕のある方は迷子になるのも美瑛を楽しむ一つの方法ですが(笑)
新栄の丘
撮影日 2004/06/16 15:32
 晴れたには新栄の丘からも大雪の山々が見えます。しかしここからは目線の高さに畑や丘が続くので山容は上半分ぐらいしか見えないのがちょっと物足りないです。ほんのちょっと高くなった展望スペースから山なみを写そうとするとこんどはトイレが手前に写り込んでしまうのも痛いです。
新栄の丘
撮影日 2007/09/01 17:57
 新栄の丘は夕陽の美しい場所です。今日はあまり焼けてはくれなかったのですが、雲のない位置に沈んでくれたのでよしとしますか。
新栄の丘
撮影日 2007/09/01 18:02
 クレオメの花がめっきり秋を感じさせる風に揺れていました。

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手宮線
撮影日 2008/09/10 15:37
 手宮線は北海道で最初に開通した鉄道路線で開業は明治13年、道内各地で産出する石炭はこの手宮線を通って小樽港に運ばれ全国へ供給され小樽の発展に大いに寄与しました。 しかし石炭産業の斜陽化とともに輸送量が減り昭和60年にその歴史を閉じることとなります。
手宮線
撮影日 2008/09/10 14:42
 現在手宮線の市街地部分は小樽市が取得し、レールと枕木は残しながらオープンスペースとして整備され、線路沿いは自由に散策することができます。
手宮線
撮影日 2008/09/10 16:35
 この写真は色内駅跡地です。色内駅は1912年に手宮線の最後に開設された旅客専用駅でさきに紹介したした「北のウォール街」に程近く往時は相当の賑わいがあったそうです。 廃止は昭和36年、現在は駅のプラットフォームを利用した小公園になっています。

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北のウォール街
撮影日 2008/09/10 16:17
 小樽はかつて道内最大の商都として栄えた歴史があります。石炭や農産物を中心とした樺太・中国などとの対岸貿易は繁栄を極め、中央の銀行・海運会社・商社の支店が 軒を並べました。
 戦後は経済の中心が札幌へ移り、産業構造の変化にともない貿易港としての主役の座も苫小牧・釧路にその座を譲ったことにより小樽は戦後の高度経済成長の波に 乗り遅れてしまいます。しかしこのことが結果的に多くの歴史的建造物を守ることとなりました。
 写真の手前に写る通りが色内(いろない)通で、この通り沿いには銀行をはじめとした多くの歴史的建造物が立ち並び「北のウォール街」と呼ばれるています。
北のウォール街
撮影日 2008/09/10 16:31
 色内通りの直交する日銀通りにある旧日本銀行小樽支店です。この建物は現在、金融資料館となっていて内部を見学することができます。
北のウォール街
撮影日 2008/09/10 16:23
 この建物は旧三井銀行小樽支店、正面の外壁には花崗岩を使用し軒には彫刻を施した重厚な造りです。
北のウォール街
撮影日 2008/09/10 16:16
 小樽市内の歴史的建造物の多くは主こそ変われ今でも現役の建物として使用されています。この建物は旧北海道拓殖銀行小樽支店でしたが現在はホテルとして使用されています。

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